保育園落ちた? なんで死ななきゃならないの?

ちょっと考えてみて欲しいのですが、
あなたが働く代わりに他人があなたの子供の面倒を見る。
これって自然ですか?

待機児童を減らすために税金を投入して保育士の給料を上げ、保育士のなり手を増やし、保育園の定員を大きくする、
本当にこれでいいんでしょうか。
これは誰のためなんでしょう?

子供の世話、育児は親がすべきものです。そうじゃない意見をお持ちの方、いますか?
それを放棄して他人に子供を預ける理由ってなんなのでしょう。

保育園に預ける世帯の属性は二種類です。
・親の二人ともが働かないと世帯が経済的にやっていけないパターン
・片方の親が働くだけでも経済的になんとかやっていけるが、仕事を辞めたくないパターン

現在の保育園に関する世間のざわつきの原因となった、はてな匿名ダイアリー「保育園落ちた日本死ね」ってやつを読みました。
これって上記のパターンにおける後者の話ですよね。

この通称増田には「活躍したいから仕事を辞めたくない。」ってことが明記されています(比喩的に煽っているとも読めますが)。
仕事を辞めると、二度と今後活躍できそうな舞台に舞い戻ることは不可能である、と言いたいのでしょう。
それは世間的に見ると現状正しいかもしれません。
だからといってそれはエゴじゃないですかね

「安月給の保育士に自分の子供を預けさせてくれ、それは私が活躍してお金を稼ぎたいからです。」
ということですよね。

「安月給の保育士に預けれないのは保育園が少ないからだ、保育園が少ないのは保育士の給料がやすいからだ、
保育園を増やすためにみんなの税金で保育士の給料をあげてあげて。」
という話ですよね
言い換えると「私がお金を稼ぎたいから、みんなの税金を投入して保育士の給料をあげてよ」という話じゃないですか?

もう少し突っ込んで話をします。

特定の職業に就く難易度は給料の高低に比例します。

つまり、保育士にはなりやすいですし、例えば一部上場企業の社員になることは難しいことです。
例えば目の前に
高給取りの大企業の社員のポストと(安月給の)保育士のポスト、どちらか自由に選べる、という状況に遭遇した場合
どちらを選択しますか、という話なのです。

すごく大事なことですが
高給取りである大企業の社員のほとんどは「その立場にいること」が「すべて」なのです。
本来的なこと、商売の話でいうと、自分の取り分は自分の稼ぎから捻出するべきです。
逆も当然で「自分がこれくらい稼げるから、これくらいの取り分がある」という話です。

所得というのは本来はその人の市場価値です。

「一度仕事を辞めるとその同じ立場に立つことは難しい」、これは事実ですが、
これは考えてみると「自分は単にこの立場にいるからこの給料をもらっているだけだ」という意味ですよね
だって稼げる人(能力のある人)はもう一度稼ぎ始めたらいいのですから。

結局
「仕事を辞めると、二度と稼げない」と嘆いている人は自分が「新卒優遇」でたまたまそのポストにつけただけで
本来は能力がない、と認めてるのです。
しかし、「立場に固執するのは能力がないからでしょう?」と言いたいのではありません。
私が言いたいのはそこではありません。

私が言いたいのは「格差」はどこからやってくるのか、ということです。
格差は既得権をいつまでも守ることで生じるのだと常々主張してます。
新卒でたまたま給料のいい会社に入社できた、という既得権を「死ね」という言葉で煽りながら
守ろうとするのはやめてほしい、ということです。

活躍という言葉を使えるほど、今切羽詰まってないのなら
仕方なく一度仕事をやめて、子育てがひと段落した後、また働き始めたらいいじゃないですか
あなたが保育士をしてもいいじゃないですか
これこそ公平じゃありませんか?

保育士の給料を上げて、待機児童を減らす、
これは大企業に勤める世帯収入の多い世帯と保育士(として勤める)世帯の格差を固定することにはなりませんか?

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