なぜ日本人は英語がしゃべれないのか(僕らのせいだよ)

子どもが成長するにつれ子どもの将来についてあれこれ考えることも増えてくるでしょう。
情操教育がどうとか、三つ子の魂百までとか、幼少時の教育が将来に与える影響なんてことを
ひたすらにアピールする方々もいます。

そんな言葉に感化されて「早く子どもの教育を行わなければ」なんて考えたりしてませんか。
しかし今回は教育の方針を早く決めた方がいいとかそうでないとかそういうはなしではありません。
それは別途。

今回は
子どもの教育について考える時、最初に何をさせるかのうち三本の指に必ず入ってくるであろう
「英語」についてです。

子どもに英語が使えるようにしてあげたい、と考えたとき必ず打ち当たることがあります。
それは日本人の英語力の低さです。
なぜ、英語力が低いのか、またそんなに英語が身に付かないのなら普通に教育していてはダメなのではないかと考えることがあるでしょう。
それらについての私の意見です。

日本人の英語力の低さの原因は「恥の文化」と「カタカナ」

日本人の英語力の低さは誰もが知るところでしょう。
義務教育で3年、高校、大学と10年勉強しても一切話せない、全く聞き取りすら出来ないなんて人、たくさんいます。
なんででしょう?

この原因はズバリ「文化の問題」と「カタカナ語」です。

恥ずかしいことなんてない?と思った方へ

恥の文化について
「菊と刀」を出すまでもなく、日本人は「恥」を非常に意識します。

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そんなことないですか?
いや、思い当たるはずです。

「stop」という単語、脳内でなんと読みました?
「ストップ」ですよね。
しかし「ストップ」と発音しても日本語を知らないアメリカ人には多分伝わらないでしょう。
それは英語ではないからです。それもあなたは理解しているはずです。
しかし「ストップ」と読む。

教わるのは「stop」です。その発音方法をあえて日本語で書くと「スタァッ(プ)」くらいでしょうか。
「スタァッ(プ)」と習っても、日常で目にする「stop」は「ストップ」と読むでしょう。

英語なら「スタァッ(プ)」と読むべきですよね。
あえて読まないのってなんでしょう? 基本的には「恥ずかしいから」ですね
あるいはカタカナ語が存在するのに、あえて英語読みするのはなんか変に感じるからでしょうか

これって恥ずかしいからということに集約されません?

恥ずかしいから全て脳内で「英語」を「カタカナ」に置き換えてしまうのです。
これではいつまでたっても英語力がつかないでしょう。
「マイネームイズなんちゃら」なんてフレーズ、カタカナで覚えていても
絶対に使えません。これは断言します。

いざそういう場がやってきたとき、なんて発音すべきかわからないのです。
「間違った発音すると恥ずかしい」、とここでも恥が頭をよぎります。

この必要以上に恥を恐れる文化、それが問題だと私は考えています。

カタカナ使用禁止にしたらええねん

もう一つのダメな点はカタカナです。日本では何でもかんでもカタカナです。
新しい外国語は日本語に訳さずにカタカナにして終わり。
カタカナのせいで英語的発音をする行為に対する恥が強調されています。
「stop」を「スタァッ(プ)」と発音しないのは
恥と「日本語読み」(カタカナ)が存在しているからなのです。

そうですね、フランスまでもいかないまでも
フランスの言語政策
カタカナが悪(は言い過ぎか)だという認識を持つことにより恥の意識が薄れていくのではないかとは思います。

カタカナのメリットもありますよ、しかし英語教育という点では私は悪だと考えています。

英語を上達させるにはどうすればよいか

誰かの陰口をたたく、それを知ることが怖い、誰かに笑われているのが怖い、
なんてのは洋の東西を問わず必ずあることです。
それが「恥ずかしい」ということです。

私の経験上、日本ではそれがことさら強調されているような気がします。
「恥ずかしくてもいいじゃん」、「人をそんなに笑うな」という意識が薄い。

さて、子育てブログなので子どもの話に戻ります。
子どもに英語を習得させるにはどうすればいいか、
それは、
「人を笑うな」「恥ずかしくなんてない」ということをはじめに教えてあげることだと思います。
成長するにつれ恥の意識も大きくなっていくことでしょう。
「恥」は「英語習得の妨げ」だ、ということをことあるごとに教えることだと思います。

グローバル化()に向けて

この国および世界の大きな流れとして事実として否定できないのは「グローバル化」()ですよね。
これは事実です。
どのような側面を認めることがグローバル化なのかというのはその定義から考えないと
難しいですが少なくとも昔よりは今、そして将来に向けて
日本人が外国へ行くことも、外国人が日本へくることも増加し続けています。(事故等で一時的な現象は除く)
外国企業が日本へ来ることもまたその逆も増加し続けています。

このような大きな流れに身をおく立場として、我が子の将来も無関係ではないと考えることでしょう。
そこで表題の件です。
英語でコミュニケートできることはこの日本では今のところ武器となり得ます。
それは日本人でいることで日本で英語を使えるというのが武器であるだけです。

「日本人が」と「日本で」という結びつきがなくなるのがグローバル化の一つの側面ではあるでしょう。
そういった方向に進みつつある現在、そしてより大きな潮流となっていることが予想される将来、
「英語が使える」ということは武器なんてものではなくなっているでしょう。

競争相手はすでに同じ日本人ではないということです。

日本人が消費者としても相手にされなくなる時代が来たとき、たくさんのるつぼの中で最低限生きていける「属性」を
身につけさせてあげましょう。

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