「教育評論家」なる人の意見を聞くのはやめよう

子どもの教育、悩みますねー
してほしくないことをするとき、「これって自分の教育方針がよくないのだろうか?」なんて
考えちゃったりしますよね。

そんなとき、いつも、ですけど
テレビや新聞で「教育評論家先生方」が子どもに「これやらせるといいですよ。」「これを言ってはダメですよ」なんて
子どもの教育についてご教示されております。

なるほど、そうすればいいのかーなんて納得してはダメです。
彼らは職業が「教育評論家」なのです。
よくわからない論理を出してきてファンをつけることでそれをメシの種にしているのです。

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それって裏付けがあるの?

研究結果に裏付けられた学術的に正しい理論であれば、
一定の受け入れはするべきだと思います。

しかし彼らは何も「裏付け」部分は言いません。

裏付けがないのでしょうか?それとも省略しているのでしょうか?
わかりません。

裏付けは不可能

子どもに接するとき、何かを教えるとき、育てるとき
あなたはどのようなことを考えていますか?

子どもの未来、将来を考えているはずです。

子どもの未来ってのは明日でも1年後でもありません

子どもの未来って明日でも1年後でもありません。
子どもの将来って、多分成人して独り立ちする頃のことを考えているのではないですか?

例えば3歳児に何らかの教育の研究をしたとします。
そしてその結果の集計をする際、結果が出るのが20年後とかそんな感じになりますね。

こういった研究の場合、その研究の有効度を示すために、
標本の数とかかつ対抗する理論の研究結果が必要になります。

そんな長い間、かつたくさんの子どもたちを見続けることなんて不可能です。

つまり何が言えるかというと
子どもの未来、将来を考える際に
「教育評論家」が持ち出す理論なんて信用できない、ということです。

無責任

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言葉通り彼らは無責任です。その通り責任なんてありません。
言うことをやってみたのはやってみた人の責任です。

ご飯を食べるために自分の理論を流行らせたい、
ただそれだけです。
それが別に悪いことだとは言いませんし、思いません。

受け止める側はそこを理解しなければなりません。

私がヒドいと思った出来事

こんなことがありました。

改革派でならしていた有名都道府県知事に対して
日本で二番手の大手新聞社が「某有名教育評論家」の投書を載せました。

内容は、「もし義務教育過程でも”留年”という制度を導入すれば私はあなたを評価する」と
いうものです。

その数日後、
その都道府県知事がその通り
「義務教育過程でも留年制度を検討」ということを発表します。
それなりにインパクトのあるニュースです。

次の日、
「某有名教育評論家」はコメントを出します。
「あんな新聞の投書ごときに乗っかるなんて馬鹿ね、やめてよ」的なコメントを。

このニュースからわかること、それは「無責任」

新聞に投書を出した時点では、「これは実現しないだろう」と思いながら、
「画期的であろう案を考えた私、ステキ」なんて考えていたはずです。
(私のブランド価値がまたあがるわ、なんて)

しかしその後実現の可能性がでてきたわけです。
案を考えたのは自分自身です。
なんとしてでも否定してつぶさないと、
「案を考えた責任」が自分自身に課せられます。

それはなんとしてでも避けなければなりません。
それが先のコメントにつながっているのです。

あまりにもヒドくないですか?

教育評論家の態度ってそんなものです。
責任とりたくないのです。

責任とらないくせに「あれしなさい」「これダメ」とか上から目線で
指示しようとするのです。

もし誰かに頼りたいのなら

それでも何らかのアドバイスが欲しいときって必ずあります。

まず第一は「前提としてあなた自身があなた自身を嫌いのでない」のなら
親を頼りましょう。

なぜならあなたの親もあなた同様子どもに対する一定の責任があるからです。

他人に頼るなら

他人に頼るなら
まずは「その人が育てた子ども」を見ましょう。
それが答えです。

そしてその子どもの親に頼りましょう。
それは近所の人かもしれませんし、有名人かもしれません。

その人が育てた子どもがあなたの理想に少し近いとして、
それがその子ども自身の力なのか
それとも親の教育の賜物なのかは
そのきょうだいを見ましょう。

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